サーカスで芸をする動物と自分

サーカスのサルが芸をする。クマが芸をする。
玉にのったり、平均台を渡ったり、逆立ちしたり、下手すると火の輪をくぐってたりする。
それをみんなが「わぁぁぁぁ、かわいい!!」と賞賛する。
子供も大人も賞賛する。みんな拍手して動物たちをほめる。


でも、自分は「可哀想に…」という気分で泣きたい気持ちになってくる。
とても拍手して「可愛い!!」なんていう気がおきない。


芸をしないときは、オリに閉じ込められて、えさは、その日生きれる分をもらえるだけ。
オリから出されたと思ったら、今度は、本来ならばしなくてもいい芸をすることを要求される。
クマが逆立ち?どう考えてもクマの日常で逆立ちなんて練習をする意味が見出せない。


逆らえば、ムチで徹底的にしばかれて、どうしても従わない場合は、命さえとられてしまう。
歳をとって芸ができなくなれば、用済みな彼らに居場所などない。
元の森に戻してもらうこともおそらくない。殺処分という厳しい現実がある。
だから必死に芸をする。いつも同じ芸じゃお客を満足させられない。
だから、より難度の高いことを要求され、それをこなそうとする。
野生動物は火が嫌いなはずなのに、火の輪までくぐってしまう。

それもこれも、ムチでしばかれたくないから、用済みになりたくないから。

ムチでしばいている側だって、サーカス団長に雇われているだけだ。
そうしなきゃ生きていけないから、何の恨みもつらみもない動物をムチでしばきあげる。
動物がうまいこと新しい芸をしてくれなきゃ、お客に飽きられて、調教師だって用済みだ。
だから必死にムチをふるう。
普通なら、かみ殺されてもおかしくないライオンやトラの前で、
恐怖もあるだろうけど、ムチをつかって芸をさせる。


芸をするクマと調教師をみてると、どうしても「あれは、俺自身じゃん!」と思ってしまう。
とても「かわいい!」なんて声をかけられない。
見ていられない。可哀想で可哀想で仕方なくなる。


でも、この話を同じサラリーマンの同僚などにしても、
「そんなこと考えながら、生きてるのって楽しい?」といわれてしまう。
「そんな気分の悪い話、聞きたくない!」と罵られることもある。
だから、よっぽど話のわかる奴にしか、この話はしなくなった。
ここ10年で話した回数は3回だけだ。


自分は、ただ「限りある人生の時間を切り売りしたくない」だけなんだ。
毎日8時間、通勤時間3時間、計11時間の拘束が確定的で、
残業があれば、さらに拘束時間は長くなる。
帰って食事して寝る時間以外に、何の時間もない。


どうにかして、この人生の時間を切り売りしてる状態から抜け出したい。
就職して数年でこの願望に気がついて、仕事をして金を貯めて、抜け出す方法を模索してる。
普通に結婚して子供がいると、簡単にその状態から抜け出せないような経済状態になるように、世の中は作られている。結婚しない人間が増えていると聞く。したくても出来ない人間も、もちろんいるだろうけど、こういう世の中のシステムに対する反逆を無意識のうちに行ってる人もいるんだろうね。

仕事をするのは嫌じゃない。仕事は面白いし楽しいとさえ思うときがあるくらいだ。成果が出たときの達成感や、人に感謝されたときの気分も悪くない。
それはわかってる。
努力の甲斐あって、収入もそう悪くない。それだけでも恵まれてるってのはわかってる。

でも、自由がまったくない奴隷状態で、仕事しか選択肢がない人生は嫌なんだ。もっと家族と一緒に過ごしたい。単にそれだけなんだ。

この願望に気がついて、20年ほどたつ。
自分でサーカス団を興行する道があることもわかってる。
でもそれは、ほかの動物たちの犠牲の上に成り立ってる。

サーカスから逃げ出さなきゃ。
一生食うに困らない分の食料を確保して、森に帰りたい。
森で自由に暮らしたい。単にそれだけのことなんだ。