原発は社会的に重要だが、電気を生み出す一手段にすぎず、人格権より劣位にある?
大飯原発の運転差し止め 福井地裁「危険あれば当然」 (写真=共同) :日本経済新聞
大飯原発 人格権でググったら、すぐにこの記事にヒットした。もっとよく調べて記事を書けばよかったかな。
さてさて、で、この記事を読む限り、樋口裁判長の言い分は
「原発は社会的に重要だが、電気を生み出す一手段にすぎず、人格権より劣位にある」
「具体的な危険性があれば、運転が差し止められるのは当然」
「福島事故では250キロ圏内の住民への避難勧告が検討された」ことを根拠に、差し止め請求を認めた。
ってことみたいね。
ふむふむ。とりあえず、人格権について調べたほうがいいっぽいね。
まあ、Wikipediaが正しいことを書いているとした上での話だけど、とりあえず関係ありそうな部分を抜粋すると、以下の3つかな。
・人格権に基づく差止請求は、不法行為に基づく差止請求権よりも、人格権の侵害という見地において不法性が大きく、それを放置することが社会正義に照らして許容されないレベルの場合にしか認められない。
・侵害者の故意又は過失について立証できないことを理由として放置することが、社会正義に照らして許容できないレベルのものに対して認められるものであるため、通常の不法行為に基づく差止請求権と異なり、侵害者の故意又は過失について立証責任を要しない。
・人格権に基づく差止請求は、基本的な根拠規定は不法行為に基づく差止請求であるが、人格権の侵害という見地において特別重大な不法行為においては、権利の濫用や信義則の法理によって、通常の不法行為に基づく差止請求とは異なる扱いとなるのである。
ふーむ、とりあえず思ったことを順番に書いてみるよ。
まず、人格権関連。
人格権に基づく差し止め請求って、不法行為を差し止めるみたいだけど、そもそも原発を再稼動することって不法行為なの?
不法行為だというなら、原発が稼動可能になる条件を規定した法律があって、その条件を満たしていないってことなのかな? 記事からはそういうニュアンスは受け取れないけどなあ。
それから、不法性が大きく、放置することが社会正義に照らして許容されないレベルじゃないと認められないとあるけれど、社会正義って法律上どう規定されているんだろ?
まさか、裁判官が勝手に独断で規定していいわけじゃないよね?
あとさー、「福島事故では250キロ圏内の住民への避難勧告が検討された」ことが差し止め請求可能な範囲の根拠になるんだろうか?
じゃあ、大飯原発の半径250キロ圏内が完全に無人だったら、この差し止め請求は不要ってこと?
裁判官の胸先三寸で、適当に判断しすぎじゃない? 250キロという範囲が、科学的根拠とかから出されたとは思えないなあ。
具体的に空間線量が高い警戒区域の範囲くらいで差し止め請求を認めるっていうなら、まあ、まだわかるよ。警戒区域の人たちは実際に生活を破壊されているんだしね。
昨日の日付の記事のコメントで、名無し2さんが、人格権について言及して、「きわめて論理的な判決だと思う」と書いているんだけど、まあ、ちょっと同意できないかなー。
ひょっとして、私が調べた人格権の認識が間違ってる? まあ、wikipediaから抜粋だから、それもありうるかもだけど。
ここまで調べた限りだと、やっぱり裁判長の個人的見解って奴が幅を利かせている印象なんだよね。
もっと人格権について、細かく調べるべき? 個人的には素人の自分としては、これくらいでもういいかなーって感じなんだけどさ。