大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読んだ上で思ったこと

【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します / NPJ


都合よく判決要旨全文を掲載してくれてるWebページがあったので、長い文章なんだけど、ちょっと真面目に中身を読んでみた。


とりあえず、他の裁判の要旨全文を読んだことがないので、比較することができないんだけど、全体として、裁判官たちの感情というか心情みたいなものが、随所に感じられる文章だと思う。


以下に一部を抜粋した上で、私的見解を書いてみるよ。


地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない


うーん、そりゃそうだけど、そんなこと言い始めたら、超高層ビルだって石油化学コンビナートだって、建設許可出せないじゃん? 首都直下型地震に絶対耐えうるって保証ないじゃん?


原発はダメで、高層ビルがOKな理由が、被害の大きさの差だっていうなら、それはその被害をどう捉えるかという人の感情の問題であって、法による規定とは無関係だよね?


だったら、裁判所の裁判官数人で判断する話じゃないのと違う?、

幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問がある


上の記述とセットで、これには全面的に同意。


結局、裁判所は法と判例からしか結論を出せないというのが一般的な認識だと思うけど、むしろ、それが司法としての正しい姿だよね。


「幾世代にもわたる後の人々に対する責任」を負える判断を可能とする法と判例なんかが今の日本の法体系に存在するわけないんじゃないの? 


それでも仕事として結論を出さなきゃならないから、なんとかして結論をひねり出すんだろうけれど、当然、裁判官の個人的な感情とか見解が通常より大きく影響を与えることになるよね。


そういう風にして出された結論が、日本国民にとってベストな結論足りうる?


こういう巨大すぎる問題に関しては、法改正して国民投票とかで結論を出すようにしたほうがいいんじゃないのかな?

極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことである


たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である


この二つに関しては、私はそうは思わないけどなー。


だってさ、電気代とか国富の流失や損失は、結局回りまわって、国民の生活に影響を与えるじゃん?


一億総中流だった時代と違って、今はギリギリの生活をしている人が多数いるんだよ? 経済的な困窮が原因で自殺する人だって、たくさんいると思うよ?


日本の年間自殺者数は統計では3万人程度、隠れた変死等もいれれば10万人以上が自殺と推定されるなんて話もあって、その理由に経済的困窮とか中高年が仕事を得られないとか、多数あると思うんだよね。


原発を稼動することで、安い電気が提供されて、企業の活力があがって、経済の状態がよくなって、国民の生活が楽になって、結果として自殺する人が減ることはあるんじゃないの?


原発の稼動の可否は、金の問題で判断できることじゃない、とは私は思えないね。

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とまあ、私的に気になった点について、私的な感想を言いたい放題で述べたけれど、裁判官たちがこういう結論を出してしまう心情自体は、福島の件を考えれば、一定の理解はできるよ。


実際、昨日のエントリーに書いたように、原発推進派の私ですら、既存原発の稼動については限定的消極的賛成なんだよね。


ただ、いまや非正規雇用の人たちって全体の1/3にも達してるじゃん? 1ヶ月の電気代が少しでも安くなれば生活も楽になるし、電気代が安くなればその分、職を得られる人もでてくるじゃん?


いつ起こるかわからない地震よりも、まずは今日明日、1ヶ月後なんじゃないの?


その上で、できるだけ早期にもっと安全で強固な原発に差し替えていくのが、私的にはベストなんじゃないかなーと思うんだよね。


まあ、いろんな人に、その人なりのベストというものがあるだろうから、それを決めるのは選挙とか国民投票がいいんじゃないの?と思う次第。


イチ裁判官に、今後100年以上の国の命運を託すような判断を押し付けること自体が間違いなんじゃないかなー。