私がアングロサクソンを好かない理由
端的にいってイギリス・アメリカといった国は、あまり好きじゃない。
この感覚は20代の頃から薄々思っていたのだけど、年を取るにしたがってハッキリとした考えとなって、自分の頭に固定されるようになった。
ただし、嫌いではあるけれど、彼らを敵にまわすのは大変マズイことだと思ってるので、彼らとは出来るだけ友好的に接するべきだとも思っているんだけどね。
どうして嫌いなのかなーっていうと、結構いろいろな理由があるんだけど、突き詰めていくと彼らの作る社会が非人間的な社会だなーと思うからなんだよ。
例えば、食事ひとつをとっても、イギリス・アメリカの庶民料理は本当にマズイんだよね。
何しろ日本に来ているイギリス人の20代の男性が、自国の飯はマズくて我慢できないので、帰りたくないって口に出していうくらいだしね。
もちろん、イギリスやアメリカでだって、金を出せば結構美味しい料理が食べられるよ。だけどね、お金を出さなければ本当にマズイ料理しか食べられない。
金を出せない奴は、マズイ飯で我慢して当たり前だっていう意識があるんだと思うんだよね。
だからアメリカのショッピングモールのフードコートとかいくと、本当に信じられないくらいヒドくマズイ飯が出てくる。
日本だと280円くらいで牛丼が食べられるでしょ?個人の好みはあるかもだけど、とりあえずマズくて食えないってほどヒドイ味じゃないでしょ?
それがね、向こうのフードコートだと3$だと、本当にとても食べられる代物じゃないくらいマズイもんが出てくるんだよ。
で、みんな、それを当たり前なこととして受け止めて、食べてるわけ。もちろん彼らだって、それがとてもマズイってことはわかってるんだよ。だけど、金がないんだから仕方ないって思ってるわけ。
店側もより美味しいものを同じ値段で提供しようなんて気は毛頭ないように見えるんだよね。
日本みたいに、同じ350円のコンビニ弁当でも手をかえ品をかえ、美味しさを追求するなんて、アメリカの社会ではありえないみたい。
350円しか出せないわけ?んじゃこれでも食ってろ!って、餌を渡すみたいな感じ。
同じ考えからきているんだと思うけど、お菓子とかジュースとか、とにかく食い物がマズイし、全然変革する気がない感じなんだよね。
安い値段なんだから、これで当たり前、って感覚が社会に浸透しきってる。
イギリスとかアメリカの目指す社会って、総じてこんな感じなんだよね。弱者や敗者は徹底的に惨めでヒドイ生活をして当たり前って観念が、完全に根付いちゃってるんだよね。
日本人の感覚だと、全員が最低限、ソコソコ美味しいご飯を食べれて、子供を作って、育てることが出来て、学校に通わせて、なんて生活が出来たほうがいいって思ってるんだけど、彼らにはそんな感覚がなさそうなんだよね。
そして、逆に社会の上の階層にあがっていくのにも、信じられないほどの泥仕合的な戦いに望まなきゃならないっぽい。
先の知り合いのイギリス人なんて、イギリスのケンブリッジ大学を出てる優秀な人なんだけど、彼は日本で中流から下流的な生活をしていて、全然帰る気配がない。
ケンブリッジまで出てるのに、日本のオフィスの前の道路の落ち葉とかほうきで掃いてるわけ。イギリスじゃ考えられないことだと思う。もっと高給が取れるはずだし、もっと社会的地位が高い仕事が出来るはずなんだよね。
でも、彼は全然帰る気がないっぽい。日本人女に入れあげてるとか、今の仕事が好きとかあるんだろうけれど、実際、一番の理由は日本で生きるのが楽ってことなんじゃないかなと感じるんだよ。
同じような境遇のオーストラリア人も知り合いにいる。やっぱり同じ感じで、日本の職場の居心地のよさを気に入ってるらしくって、一度オーストラリアに帰国してるんだけど、半年後、すぐに日本に戻ってきちゃって、以後何年も日本に住んでいる。
実際に住んでいる当人たちでさえ、当たり前に息苦しい社会を形成する民族っぽいんだよね、アングロサクソンって。
口では平等とかフェアとかいいながら、全然そんなの守る気がないし、バレなきゃOKとすら思ってる。そして誰かを踏み台にして社会を形成するのが当たり前と思ってる。
どうしても好きになれないんだよなあ。
最近、日本もそれを真似てるのか知らないけれど、同じような雰囲気の社会を形成しようとしているから、心配なんだよね。アメリカとかイギリスを真似るのはやめといたほうがいいと思うんだけどなあ。